河内長野市で楊枝生産が盛んになったのは明治期以降。この地で採れる黒文字を活かし、楊枝を削る内職が広まったのが始まりといわれています。1980年代の最盛期には、河内長野市の爪楊枝生産量は国内シェア97%を占めるまでに。しかし1990年以降、安価な海外産に押されて地元の製造元は減少の一途をたどり、現在、当地で一般的な丸軸型爪楊枝の生産を続けているのは私たち1社のみとなっています。
身近な自然資源・木を暮らしに生かした、先人たちの知恵を今に伝えます。